しぴ風呂

いい湯だな

随筆、あるいは統合失調症の陰性症状を緩和する手段としての言葉遊び

《しぴえる(@sh1p1_ele)のお風呂が沸きました》

5月に入ってから、どうにも調子が良くない。

それはたとえば、意欲の欠如であったり、感情の鈍化であったり。

五月病という言葉で片付けるのは簡単だが、しかし、それにしてはいささか症状が重すぎないか。

実際のところ、5月に入ってからの僕は布団から碌に出ることもできず、依頼された仕事を溜め込み、そればかりか、娯楽に興じることすら困難なのである。

精神力だけを当てにして五月祭に遊びに行き、その時だけは何とかして自分を保っていたが、やはり名古屋に帰ってくると倒れ込んだ。

(まあ自分、元から怠惰だったし…)

(…いや本当か?流石にここまで堕落してしまうのはおかしい)

天井を見上げながら自問自答して気がついた。

「そういえば、5月1日に精神科に行ったとき、レキサルティを試しに減らされたんじゃん!」

 

◆こんな時こそ文章を書こう

 

昨晩は一睡もできなかったが、空も白み始めているため、僕は布団から起き上がった。

本当は人生の全てがどうでもいい気分なので、今日も無気力に横たわったまま漫然と1日を過ごしても構わないのだが、これが減薬によるものとなるとそうはいかない。

この状態から脱するためには病院に行くだけの意志の力を振り絞る必要があり、僕は今、自分を鼓舞するために文章を書いている。

まったく言葉というのは、とても人間が生み出したとは思えない不思議な仕組みである。

言霊などというとスピリチュアル色が強すぎるかもしれないが、人は誰しも、ポジティブな言葉を使えば多少なりともポジティブな気分になるものだろう。

僕が今朝文章を書こうと思い立ったのは、意欲や感情が平坦化した自分自身に、少しでも人間らしい情緒を取り戻させるためである。

たとえ世界のすべてが色褪せて見えても、まるで鮮やかさを感じているかのような言葉の使い方をすれば、僅かな色彩もより敏感に感じ取ることができるのではないか。

そんな一縷の望みをかけて、僕はモニターの前に座っているのだ。

心の動きは未だ鈍麻しているが、さあ、だからこそエッセイを書いてみよう。

 

◆東の空を見晴らして

 

「エッセイを書いてみよう」と宣言しておいて何だが、実は僕はこれまでエッセイを書いた経験がない。

他人が書いたそれを読むのは好きなのだが、自分の感情を人に読ませるために言語化するというのはこそばゆさを感じるもので、なかなか書こうという気にはならないのである。

よって、エッセイを書くためのお作法も知らない。

そんな僕だから、安直な発想ではあるが、ネタ探しのために外を見ることにした。

先ほど白み始めていた東の空は、薄橙に色づき、いよいよ新たな1日の到来を告げているようだ。

清少納言は「春はあけぼの」と綴っているが、実は僕は初夏の朝が一番好きである。

それは、子供の頃のときめきを思い出させてくれるから。

夏というのは、多くの子供にとって楽しいことが満載の季節だ。

何しろ夏休みがある。

しかし僕は風変わりな子供だったので、夏休みそのものよりも、それが日に日に近づいてくるのを感じられる今くらいの季節が一番好きだった。

今日は学校で何をしようか。

友達とどんな話をしようか。

子供の1日というものは、大人が感じているよりもずっと長く、そして純朴なままに時間が過ぎるものである。

只々、楽しいのである。

初夏の朝は、その1日の始まりであると同時に、夏休みにまた少し近づいて華やぐ心の象徴であるように思う。

そして大人になった今もまた、当時のときめきを心の奥から引っ張り出して、たまには童心に返りたいものである。

 

◆初めてのエッセイを書き終えて

 

エッセイなどと呼ぶには拙く短いものだったが、ここで一旦筆を置こう。

そして僕は、心赴くままに散文を生み出しているうち、自分で予想していた以上に胸がざわめいたのを感じて驚いている。

題材もなかなか悪くなかった。

まだ諦観など持ち合わせていなかった頃の、真っ直ぐだった自分を少しだけ取り戻せたかのようだ。

言葉とは、文章とは、そしてそれを書き下ろす行為とは、斯くも素晴らしい営みなのである。

それは、時に病的に鈍麻した心すらも揺さぶり起こすほどに。

だからこそ僕は昔から、瑞々しく美しい文章や、そうして紡がれる物語に浸っている時間が好きだったのだろう。

さあ、今日はお気に入りの文庫本を携えて、カフェにでも向かおう。

優雅に珈琲とモーニングをいただいて、言葉の持つ力に酔いしれよう。

そうして気分よく鼻唄を歌いかけた僕を、もうひとりの僕が小突いた。

「それよりさっさと病院に行けよ」

仰る通り。

前向きな生活を取り戻すためにも、今日のところは医者に相談するのが先決だ。

しかし、それはそれとして、朝はカフェに行きたいのである。

だから、今日は少し早めに家を出よう。

行ってきます。