しぴ風呂

いい湯だな

たったひとつの本棚で人生が狂った件

《しぴえる(@sh1p1_ele)のお風呂が沸きました》

昨晩から延々とTwitterで嘆いているのだが、気持ちを整理するためにも、あらためて僕と本棚の話をしようと思う。

あの本棚は僕の人生の出発点であり、また、人生が狂い始めるきっかけでもあった。

 

◆母親のこと

 

以前からたびたび愚痴っているのだが、僕は母親と仲が悪い。

あの人はとにかく精神的に不安定で、自分を卑下したかと思えば次の瞬間には尊大な態度を取る、あるいは逆に死にたいと泣き喚き始めるなど、子供の頃の自分には受け止めきれないぐらいの、パーソナリティ上の問題があったように思う。

極端な価値観の持ち主で、許されていたアニメはサザエさんドラえもんちびまる子ちゃんのみだったり(流行の作品は情操教育に悪い)、ゲームは一切禁止だったり(そんな遊びはお馬鹿さんがするもの)、2000年代以降の邦楽を聴かせてもらえなかったり(昭和と比べると歌詞が陳腐で感性を鈍らせる)、友人関係に介入されて学校での居場所を失わされたり(変な友達と付き合って非行に走らないよう近くで監視しなければ)、ともすれば某歩行者天国で起きた連続殺傷事件の二の舞になっていたんじゃないかというような生育環境だった。

ちなみに、あの人は今はディープステート陰謀論者で、フラットアースやホログラム宇宙(ホログラフィック原理とは関係なく、夜空は映像を投影したものに過ぎないという説)も信じている。

困ったものだ。

 

◆本棚のこと

 

さて、子供らしい娯楽をほとんど奪われていた僕だが、幸か不幸か、本さえあれば気を紛らわすことのできる性格だったため、中学までは折れることもなかった。

早い段階から小説や文学、学術文庫、新書の類に親しんでいて、それらの本は想像や空想の余地を無限に与えてくれたし、閉ざされていたはずの世界を広げてくれた。

あの人も一応、本には教育的な価値があると思ったのだろう。

家事手伝いで得た小遣いを全部書籍に費やしても、それに関しては特に咎められなかった。

ただ、小遣いの範囲となると、成長するにつれて、読むスピードに購入するスピードが追いつかなくなった。

そして、暇を持て余した僕はやがて、読書日記をつけたり雑誌や新聞を切り抜いたり、Wikipediaを印刷したりして「自主研究ノート(今思えばそんな大層なものではないが)」を作り始めたのである。

岐阜という田舎で、行ける限りの本屋や古書店をめぐって集めた本と研究ノートは、最後に数えた時は400冊以上になっていた。

天井まである本棚には、絵本や児童書、文芸、ブルーバックス岩波文庫ちくま文庫、新書、Newtonに日経サイエンス、さらには海外の辞典や図鑑までがびっしり。

真ん中の段は、重さで撓むほどだった。

僕はその本棚を愛していたし、誇らしく思っていた。

発達障害傾向に加え、子供らしい遊びを許されなかったせいで学校では浮いた存在だったが、つらい日でも本を手に取れば別の世界を見に行ける。

嬉しい日も悲しい日も、部屋に変わらず佇んでいたあの本棚は、僕の心の拠り所だった。

 

◆「あの日」のこと

 

無事高校に進学し、最初の高一全統記述の結果が返却されてしばらくした、初夏のこと。

帰宅すると、あの人に尋ねられた。

「ねえ、あの本棚、もういいよね?」

「どういう意味」

「あんなたくさんの本、もういらないよね」

つまりこういうことだ。

模試の結果は、あの人の期待を大幅に上回る出来だったが、完璧ではなかった。

全国順位1桁台とかのレベルではなかった。

順調に進めば京大は射程圏内に思えるが(田舎人なので東大はいけ好かなかったらしい)、学科トップの成績で合格を決めるには、まだまだ足りない。

であれば、読書の時間を削って勉強にあてるべきだと。

当然、僕は抗議した。

しかしあの人が言うには「もう高校生なのだから、私をがっかりさせないで」。

実はその頃の僕は、あの人を失望させるのが何より恐ろしかった。

いつだって失望の次に待っているのは、あの人の哀しみとパニックであり、絶望であり、暴力であり、自殺を仄めかす言動だったから。

そしてそれは、身の安全を脅かす恐怖とともに「お母さんをそんな状態に陥らせてしまった」自分への罪悪感になるのだ。

悲しませたくない、泣かせたくない、叩かせたくない、死なせたくない。

弱かった僕は、とっさにこう答えてしまった。

「そうだね、いらないかもね」

それを機に運命が変わってしまったのだと、情けないことに、僕は今でもそう信じている。

人生を懸けたはずの本棚の中身がブックオフに売り払われ、3枚の千円札とわずかばかりの小銭になって、手元に返ってきた「あの日」。

僕は長々と印刷されたレシートを見てようやく現実を認識し、枯れるほどの大声をあげて泣いた。

 

◆その後のこと

 

本気で死のうと思った。

ろくな娯楽が与えられなかった自分にとって、唯一の救いがあの本たちだった。

いや、救いというより、僕の人生の営みそのものだったかもしれない。

半分は、処分に同意した自分の責任とはいえ、それが奪われた事実はあまりにも残酷にのしかかった。

結局、勇気がなくて死ねなかったのだが、僕はもう二度と好奇心を追い求めたりするものかと心に誓った。

次同じようなことが起きたら、今度こそ本当に命を絶ってしまうと思ったから。

しかし、心配するまでもなかったようだ。

文章を読もうとすると活字が滑って、内容が全く頭に入ってこなくなったし、四則計算もまともにできなくなった。

常考えられないようなスピードで成績が転がり落ち、僕はわずか半年で閉鎖病棟のお世話になることとなった。

 

◆記憶のこと

 

こんな重大な事件を、僕は昨日までずっと忘れていて、記憶のかけらも残っていなかった。

思い出したきっかけは些細なことだ。

一昨日、近場の大学に所属する文化人類学の先生と知り合い、研究の話を聞いて「何か知っているような気がする」と感じたのだ。

そして「岩波新書じゃないか」と思い当たった。

しかしなぜだろう、今その本は手元にない。

おかしいな、こういった本は図書館などで借りるのではなく、必ず購入していたはずなのに。

確かに持っていたと思うのだが。

そこまで考えた瞬間、あの日の絶望とともに、全ての記憶が鮮明に蘇ってきて、今に至る。

 

◆これからのこと

 

今まで、勉強を始めようと何回思い立っても、その度に何か理由を探しては中断していた。

忙しいから、お金がないから、体調が悪いから。

もしかしたらその原因の根本は、この出来事にあるのかもしれない。

どれだけ頑張っても、不可抗力によって良くない結果に終わる気がして、そうなる前に自分でやめようとしていたのだ。

でも、次からは違うはず。

過去を思い出すのは、過去を克服するための第一歩だと、僕は信じている。

昨日からずっと泣き続けているし、同居人に「過去のことなんて忘れなさい」と頭を軽くポカンとされただけで、殴られたような気分になって過呼吸を起こしかけたが、それでも記憶が蘇ってよかったと思う。

今度こそ前を向かなければいけない。

そして少しずつ、過去のしがらみに決着をつけていこう。

落ち着いたら、部屋の一角に新たな書斎でも作る予定だ。