しぴ風呂

いい湯だな

岐阜と名古屋と東京と僕

《しぴえる(@sh1p1_ele)のお風呂が沸きました》

微積ができないと君は言うが、話を聞く限り、さてはε-δ論法を理解していないな。今度叩き込んでやるから、今のうちに勉強しておけ」と仲良しのFFに圧をかけられているが、例の本棚の事件を思い出してから体の震えが止まらず、思考が回らない。

そんなわけで、気分転換も兼ね、自分の知っている三つの町の話を書こうと思う。

 

◆故郷・岐阜

 

今は名古屋に住んでいる僕だが、生まれは岐阜である。

市町村名までは書かないでおくが、家を出て少し歩けば一面に田んぼと畑が広がり、どこを見ても山があって、小川が流れているような地域。

先に誤解のないようにしておこう。

僕は故郷が嫌いではなかったし、あの風景を愛おしく思う気持ちだって当然ある。

しかし、学ぶにはとことん向かない場所だった。

僕はこれでも中学受験勢なのだが、岐阜の中高一貫校は塾に通わずとも、応用自在を買い与えてもらい、我流で天声人語の要約をしていれば合格できた。

小学生のうちから苛烈な競争にさらされることがなかった分、確かに気楽ではあったが、進学先で得られるものも少なかった。

今はどうだか知らないが、当時あの学校には、僕が望んでいたような科学部や文芸部やパソコン部といったものはなかったし、科学の甲子園や学術オリンピックの情報など来なかったし、そういうものに興味を持つことが異端とされる雰囲気まであった。

実際、僕は科学部や作問同好会を作ろうとしたり、科甲の出場メンバーを募ったりしたのだが、どうもうまくいかなかった(もちろん自分の人望のなさも原因ではあろうが)。

ただ、これはおそらく、学校そのものの問題ではないと思う。

もっと根が深い、地方と都市部の文化資本の差、あるいは情報格差が土台にあったはずだと、少なくとも僕は信じているのだ。

というのも、以前少しツイートしたのだが、岐阜に住んでいると、まず学術書というものを目にする機会がない。

その存在自体を知らないから、僕は「大学に行ったら大学検定教科書が配布されるのかな、楽しみだな」ぐらいの気持ちでいた。

それでもって、僕が自分の本棚に集めたような学術文庫や新書ですら、学校からバスで1時間以上かかる、岐阜市中心部の三省堂に行かなければ手に入らなかった(数年前に丸善ができて多少状況は良くなったようだ)。

しかしここで「まあまあ、さすがに受験生向けの参考書くらいはあるだろう」と思う人は多いだろう。

「中でも駿台文庫や河合出版なんかは、けっこう深入りした本があるじゃないか」と。

実はそうとも限らず、下手な本屋に行くと中学までの参考書しか売っていないのだ。

高校生向けの参考書や問題集のコーナーそのものが存在しない。

もちろん、市街中心部に出れば学習塾、つまり学校の成績を向上させる施設はそれなりに充実していたけれど、どこを見渡してもそれ以上のものがない土地。

そこで自分は、ちょっと優れていると勘違いして、お山の大将を気取っていたのだ。

 

◆他郷・名古屋

 

ここでは割愛するが、紆余曲折あって、僕は名古屋に引っ越した。

岐阜と比べると、名古屋は狭くるしいが、同時に夢の詰まった場所のように感じられる。

なにしろ電車で10分ほど揺られて、名駅や栄に向かいさえすれば、芸術にも娯楽にも教養にも思う存分触れられるのだ。

7階建ての本屋など、岐阜ではどれだけ願ったって見られなかった光景である。

鶴舞から上前津のあたりにはちょっとした古書店街があり、ついでに大須商店街を散策するのもなかなか楽しいものだ。

大学のキャンパスだっていたるところにあるし、身分証を提示すれば図書館も利用できる。

忘れてはならないのが、動物園、水族館、科学館、美術館、そして博物館。

個人的な推しは、徳川美術館と、熱田神宮の宝物館だ。

東海地方に立ち寄った人は、ぜひ訪れてほしい。

話が名古屋自慢に寄ってしまったが、岐阜より忙しないながらも温かみがあり、刺激に溢れるこの地での生活に、僕はとても満たされた気持ちになった。

 

◆異郷・東京

 

さて、名古屋に移り住んだ僕は、望んでいた全てを手に入れたと思った。

名古屋はいいぞ、東京にも負けないんだぞ、やっとかめ!などと、Twitterつボイノリオを口ずさんでいたものだ。

しかしまあ、これが大嘘だったのである。

それを思い知らされたのが今年の9月末、上京した中学時代の同級生に会いに行った時のこと。

空き時間にお茶に付き合ってくれたフォロワーが「君にはぜひ神保町へ行ってみてほしい」と言うので、どれどれと半蔵門線に乗り込んだ。

東京在住の人なら、結果はお分かりだろう。

僕は圧倒され、言葉を失った。

冗談半分で「野原ひろし 昼メシの流儀」の例のコマを引用し「テーマパークに来たみたいだぜ」とツイートしたが、まさにその通りの気持ちである。

あれはテーマパークだ。

つまり夢の国であり、非日常である。

その時の感動を文章で表現しようとしても、自分の語彙力がついてこられないのが悔やまれるが、ともかく、あのような場所が日本に存在するということを僕は知らなかったし、思ってもいなかった。

僕はマスクの下でにやけながら街を散策したが、思う存分書店巡りをし、興奮が落ち着いてくると、複雑な思いが心に渦巻き始めた。

「この非日常も、東京の人にとってはきっと日常なのだろうな」という気づきである。

大都会だと信じてやまなかったはずの名古屋、しかしそこにすら存在しない光景。

人生の大部分を岐阜で過ごした自分の、想像できる範疇をゆうに超えていた。

僕はつぼイノリオをあっさり忘れ、今度は吉幾三を口ずさみ始めるのであった。

 

◆隔たりの先に思うこと

 

岐阜で暮らしていた頃、僕は「インターネットがあるから、情報は何でも手に入れられる」と信じていた。

しかしそれは違う。

確かにインターネットは、1の知識を10、そして100にしたい人にとって、非常に役立つ技術である。

しかし、0を1にするには不向きだとつくづく思っている。

例えば、食パンの袋を留めるアレが「バッグクロージャー」だと知らなければ、その生い立ちや製造工場について調べることもできないだろう(AI画像検索を使えというツッコミはひとまず置いておく)。

同様に、学術書の存在を知らなければ学術書の購入ページにアクセスしようとも思わないし、身分証提示で大学図書館に入場できることを知らなければ大学図書館とは縁のないままだし、論文の探し方自体を知らなければ論文データベースにはたどり着けないのである。

僕のパートナーは、田舎から名古屋大学に進学した人なのだが、その学部時代のエピソードなどは非常に象徴的かもしれない。

化学オリンピックに出なかった理由を尋ねられたって、そういうコンテストやグランプリがあるだなんて思いもしなかったから、出ようという発想もないさ!」

つまり、情報を手に入れるためにはまず、その情報の存在を認知する必要がある。

そしてそれは、本でもインターネットでもなく、第一に日常から得るものではなかろうか。

だからこそ僕はこの頃、神保町のような場所を非日常と思うような、自分の生まれを少々呪うのであった。

それはそれとして、岐阜という地も決して悪いものではないので、これを読んでいる人に機会があれば、うだつの上がる町並みや郡上八幡の風情をぜひ味わってほしい。